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徳島城址

 

徳島城鷲の門
徳島城(別名渭津城)は、天正13年(1585年)に阿波に入国した蜂須賀家政が築城した屋形造りの平山城であった。幕藩時代を通じ蜂須賀家が14代にわたって居城し、280余年の間、阿波・淡路両国二十五万七千八百石を支配した。
鷲の門はこの徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、その造りは脇戸付きの薬医門であった。幕府に鷲を飼うからと申し立て建造したところから鷲の門の名があると伝えられている。
廃藩置県の後、城郭の建造物は取り崩され、唯一残された鷲の門も昭和20年7月4日早暁の徳島大空襲によって焼失した。
現在の鷲の門は、平成元年9月27日、徳島市制100周年を記念して、吉田ツルエ氏(徳島市出身)により復元寄贈されたものである。(看板資料より)


城山の貝塚
徳島市指定文化財・昭和38年4月27日指定。(徳島市教育委員会)
貝塚には古代人が食料とした貝や魚類・鳥獣類などの残滓や、生活に使用した土器や石器などいろいろな物を処分した「ごみ捨て場」であり、またある時には死者を埋葬する墓場でもあった。城山の貝塚は約4000〜2300年前の縄文時代後期〜晩期を中心とする岩陰・洞窟遺跡であり、現在この3号貝塚のほかに1号貝塚・2号貝塚が存在する。
1922(大正11)年に鳥居龍蔵博士らによって発掘調査が行なわれ、かなでも2号貝塚では、ハマグリ・カキ・ハイガイなどを主体とした厚さ60〜100cmにもおよぶ貝層が確認され、縄文時代後期の土器片や、ほぼ完全な屈葬人骨1体を含む3体分の人骨が出土した。なお3号貝塚からは弥生土器も出土している。
城山の貝塚は当時の人々の生活や自然環境を知るうえで重要な遺跡として、また本県における考古学調査の先駆けとなった遺跡としても評価されている。

城山の頂上の護国神社への入口

護国神社

ひょうたんじまクルーズ(無料)の船上からの眉山

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